2014年 08月 03日
踊る阿呆
そもそも「阿波おどりをやる」というのがどういうことか。
少し何回か練習して夏まつりで踊るというものではありません。
阿波おどりの本場徳島ではもう、毎日のように数時間の練習でしょうけれど、
浅草でも毎週のように集まり、数時間練習してときには喧嘩をしながら涙と汗の部活のような、真剣になって取り組んでいるものであります。
僕は学生時代も体育会に所属してアメリカンフットボールをしていましたし、フットサルも好きですが、そういうスポーツ系の部活とも、似ているようで、少し違います。今まで縁のなかった芸術系や個人競技の部活の要素もあるからかもしれません。阿波おどり、というのは踊り手が、鳴りものさんの太鼓や笛や鉦、三味線といったライブの演奏にあわせてライブで演舞していくものであるため、全体としての目指すもの、個々の鳴らし手、踊り手として目指すもの、と、たくさんのベクトルがあるわけです。太鼓、笛や三味線、そのどれもがまたそれぞれ奥が深い。僕は踊り手なので踊りに集中していますがこれもまた奥が深い。踊りひとつとっても、まるで深い深い森、高く険しい山にわけいって、霞のどこか彼方に見え隠れする阿波おどりの神と、身一つの自分とで対話するような。そんな奥深さ。
阿波おどりを初めて見た人によく聞かれるのは
阿波おどりをする多くの人のなかにも、
腰が痛くなるけれどそういうもんなんだと耐えてがんばり続ける人、
腰が痛いから、痛まないように踊る人、
腰なんて痛くならない身体の使い方のできる人、
さまざま。
これは他の踊りだけでなく、趣味やスポーツにもあてはまります。
この阿波おどり、こういう面でもいろいろな意味で、僕の鍼治療の臨床においておおいに役立っています。


ありがとうございます!
