2016年 02月 10日
清原和博元プロ野球選手から思うこと
逮捕されてから連日新聞を賑わせている、清原和博元プロ野球選手の覚醒剤に関わる問題。
現役時代好きな選手でした。
西武時代は特に。
選手のときからやっていて、しかも知っている人がいたということですね。
本気になって止める人がいなかったのだろうか。
やはりここにおいて僕は指導者の重要性というものを感じます。
それは
「覚醒剤は危険だからやめなさい」
と伝えることなんかではありません。
そんなことは誰でも知っています。
野球人である前に社会人、ひとりの人であるわけです。
人たるものどうあるべきか。
野球の指導者は野球だけ教えていればいいわけではありません。
サッカーの指導者もサッカーだけ教えていればいいわけではありません。
どんな人間になるか。
それはスポーツ選手になるという目標よりも、もっと大きな重要な問題だと思います。
天性のものだけでなく、努力も人一倍したのでしょう。
でなければ、あれだけの記録は残せません。
上手い子に対して下手な子が言及する。
これは子どもの世界ではまずありません。
そしてそれは大人の世界でもそうでしょう。
その土台は、運動の実力の優劣で子どもそのものを判断する指導者から作られているように思います。
野球をとったら何が残るか。
子どもを指導する上で大事なのは、その子そのものをしっかり見ることだと思います。
みんなをプロ選手にすることが指導者の役目でもないし、その競技を続けさせることが役目でもないと思います。
導いていくところを輝いて見えるものにすること。
そしてそれはどんな人間になるかというところだと思います。
ありがとうございます!
by shinkyu--kaminari
| 2016-02-10 20:30
| 徒然に
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