2024年 11月 12日
家族との関わりを通して
何世代にも渡って一緒に暮らす、という家族はとても少ないと思います。
自分自身もそうですしね。
一緒に暮らすと煩わしいから、ということもあったり、もともと親と家族で住んでいるスペースが狭くて、結婚して一緒に暮らすことは困難だったり、理由は様々だと思います。
でも、それによって、生や死、成長と老化ということに対して、関わることが少なくなり、そういった弊害は生じやすいのだと思います。
元気だった人が老いていく。
人は必ず死を迎えますし、どんなに元気だった人も若いときほど自由は効かなくなります。
そういうことを目の当たりにして、様々なことを考え、大事にすることや、敬うことを自然としていくようになります。
もちろんうまくいくことばかりではなく、逆の問題も出てくるのかもしれません。
でもそういったことを子どもに教育する環境がある、ということは確かです。
昨年亡くなった義父は、その数年前に体調がおかしくなったときに、うちに1週間ほど寝泊まりしたことがありました。
そのとき、夏休みなどに一緒に過ごす「ジィジ」とは違った様子を目の当たりにして、ショックを受けながらも、労り、ともに過ごす息子たちを見て、こういう経験はありがたいと思いました。
どうにもならないこともあり、その中でできる最善のことをする。
こういうのは、教えたり強制するものではなく、自然と感じとって行うようになるものなのでしょうね。
自分のこととしてより、多くは家族を通して考えることになる生死。
今日患者さんが、「あと何年生きるか、、、」という話をしたときに、いろいろと考えさせられるものがあり、ちょっと書いてみました。
ありがとうございます!
by shinkyu--kaminari
| 2024-11-12 21:00
| 徒然に
|
Comments(0)