「汗をかけるといいですね。」
「この後汗がかけたら治りますよ。」

【伝統鍼灸かみなり】では患者さんに対して僕がこう言うこと、よくあります。

治る過程において必要な生理現象だからです。

炎暑ということになるこの時期、身体の熱をいかに逃がすことができるかというのは、とても大事なことです。

しかし、汗を『しっかり』かくことができない人は結構います。

エアコンによって本来かくべき汗を閉じ込めてしまう人。
かいてはいるけど、漏れ出ているだけの人。
上半身にしか、さらには顔、頭にしか汗をかかない人。

僕はエアコンを使うこと自体は否定しません。もちろん、院内もエアコンは使用しています。しかし、何も汗をかけない状態にまでしなくてもいいですよね?
でも、そうしないと自分で身体の熱をうまく下げられなくて調子を崩してしまう人がいることも確か。

うまく付き合うのは意外に難しいと思います。

汗をかきましょう!で、かける人はいいのですが、すんなりかけない人もいます。
身体の内外の循環がうまくいってないわけです。

一般に身体が熱傾向にある人ほど暑い夏はこたえます。
しかし、冷え症で夏がしんどいという人もいます。
この場合、大まかに言うと、熱のバランスが悪いために冷え症という状態になっている人と、身体そのものが弱っているために暑いのも寒いのもダメという人がいるわけです。

また子どもは陽が強く熱に偏りやすいですけど、いっぱい動いて汗を出して発散しているわけです。
だから、発散できていれば大丈夫ですが、スナック菓子を多く食べて体内が熱化しているのに、エアコンによって身体の外側を冷やし熱が発散しにくい状態を作っていると、汗も出しにくく熱中症になりやすいと言えます。

身体は温めないとダメというような本も出ていますが、過剰に熱をもっている人もいるわけです。
皮膚が冷たい=冷え、というわけではありません。
熱がこもっている場合もあります。
多面的にみて判断することが必要です。

体内の熱をためないようにどうするか。
食べ物だけではありません。
精神的な問題もあります。

続きは次回かな。




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by shinkyu--kaminari | 2014-07-31 07:55 | 東洋医学 | Comments(0)

教うるは学ぶの半ばなり

連日暑くてうれしいばかりです!
やはり夏は暑くないと!

本当は海にも行って思う存分波乗りもしたいところなのですが、他にやりたいこと、やらなければならないこと、やるべきことがあるとそうもいきません。



この週末、日曜日はお茶の水女子大にて鍼の勉強会。
これは僕自身、学びたくて参加していることですが、昨日は僕の担当する講義もありました。

講義するというのは、実を言えばやりたいことではありません。
しかしですね、
教えるということは自分にとって、かなり勉強になります。
やはり自らがしっかりと深く広く学び、深く広く理解しなければ、
これから理解しようとする人が理解できるように教えることはできません。

人は、ひとつの言葉をきいて共通の認識をもつとは限りませんし、
ひとつのことをきいた人が全て、同じ疑問をもつとは限りません。
適当なことを講義すれば
僕個人だけではなく勉強会そのものの評判を左右することにもなります。
学びに集う人以上の気概がないと講義なんてできるものじゃありません。

今回の講義のテーマは《望診と脈診の基礎知識》

以前の徒然日記で「望診」についてはちょっと書きましたね。
簡単に言うと、
術者側の視覚で観察することで異常を察知し、内臓の病変を判断する診断法のひとつです。

講義をする以前に、
そもそも広義において「視覚」とはなんだろう、と僕は気になっていました。
目の不自由な術者は、このテーマにおいて、どうアプローチしているのだろうか、と。

好機にめぐまれ、
講義の前にこの勉強会会員である視覚障害者の先生に大変興味深い話を聞くことができました。

全盲の方でも色の違いを認識できる方が居られる。
先天的に全盲の方でも色の濃淡の違いが感じられる方が居られる。
話さないでも誰だかを認識できる方も居られる。
視覚に頼っている我々が同じ能力を発揮することは無理でしょうが、視覚に頼り過ぎないで望診をしていくことも大切なのではないかと思いました。

この講義で、ぼくは望診について、ついつい時間を費やし、
とうとう脈診まで話せなかったのですが、自分としてはそれでもよかったのかなと思います。
両方中途半端になるのが一番よくない。

この日、もし脈診を聴きたくて講義に参加されてる方がいたら、ごめんなさい。
この勉強会では講師の講義ごとに終了後アンケートをとっているので、
脈診ごめんなさい講義(笑)ではありましたが僕の望診の講義にどのような反応かあるのか楽しみでもあります。

講義資料づくりに手間取り、徒然日記も数日空きましたが、なるべく更新していきたいと思います。「この続きはまた次回」と書いて、その当該《次回》にその続きがこないのもご容赦下さい(笑)<「次にそのことについて書きたいと思った回」に、ということで。



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by shinkyu--kaminari | 2014-07-28 14:49 | 徒然に | Comments(0)

前々回それぞれの臓腑について述べていくことを書きましたが、
その前段階として
東洋医学の臓腑観について説明する必要がありますね。



大概の人は「五臓六腑」という語をきいたことがあるでしょうし、
臓腑というものについて、理解はしていると思います。

しかし、それはあくまでも西洋医学としての認識でしょう。


そもそも五臓を正確に認識している人は医療を生業としている人以外の中でいうと、少ないのではないでしょうか。



「肝、心、脾、肺、腎」

これが五臓です。

違和感を感じますか?
膵臓がありませんね?

でも東洋医学的にはこれでいいのです。

なぜいいのかというと、
五臓といった場合、実際にあるものだけを並べているわけではないからです。

仏教伝来と同じ頃、東洋医学(中国伝統医学)が日本へ伝わりました。

それ以降、東洋医学一辺倒の日本に変化が起きたのが、
江戸時代、解体新書が伝わったときです。

東洋医学の解剖図はでたらめだと認識されるようにもなりました。

人体の解剖図を描き表していたものからすると、正確なスケッチかどうかという観点ではそのとおり。
明らかに実際のものとは違う。

しかし、東洋医学の図は解剖図ではないのです。

臓腑図。

臓腑に対する捉え方、考え方が違うのです。
ある意味、概念図です。

臓腑図においては肺や肝は葉っぱの形をしています。
肺は八枚、肝は七枚。

現実的に見ると、肺や肝がそのような形をしていないのは一目瞭然です。

しかし、なぜそのように描いたのかというと、機能をも現しているからです。


解剖は古代の中国でも無数に行っているので、描こうと思えば描けるところを、
臓腑図では敢えてしなかった理由があるわけです。

西洋医学の内蔵学にあたるものは、
東洋医学では「蔵象学」といいます。


「蔵」は「臓」であり内臓、
「象」とは「形象」で外に現れる生理及び病理現象のことをいいます。

このことから五臓六腑を幹として経絡を枝葉とする一体的人間観がでてくるわけであります。

そしてその他の五臓も
西洋医学でいう臓腑とイコールではありません。

さらに六腑も。

続きは次回に。




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by shinkyu--kaminari | 2014-07-22 22:17 | 東洋医学 | Comments(0)

【伝統鍼灸かみなり】を開院してひと月。

以前の職場である「荻窪接骨院・治療室」からの患者さんもきてくださり、
地元浅草での開業を待ち望んでいた方にも訪れていただき、
そのような方の紹介からいらっしゃる方もいて、
ほんとうにありがたいことであります。

ビルの二階にある鍼灸院であるため、ふらっと通りすがりにいらっしゃる方はまずいません。
僕も呼び込む看板は出していません。

【伝統鍼灸かみなり】を何かで知ってからきていただく方がわかるための看板なので、
いつ診療していて、いつが休みで、何時から何時まで診療といったことにも
一切触れておりません。

それでもいらっしゃるんもんなんですねえ、看板をみて直接訪れる方。
ひと月の間に三人!

多いか少ないかよくわかりませんが。。。

おひとりはそば屋と間違えたという、かなり稀なケース、
おひとりは「お灸してくれるか!?」といって突然入ってこられましたが、よくよくお話を伺うと保険希望とのことなので、別のところを紹介しました。

残るおひとりの方は、どのような治療をするのか教えて欲しいと言って尋ねてきました。
僕は初診時に書いてもらうカルテを見せながら、

「痛いところとか症状のあるところに鍼をするわけではなく、いろいろな側面から身体そのものをしっかりみさせていただいて、原因を追究した上でその人にあった鍼をしますよ。」と言いました。

すると、「症状がないとしてくれないのですか?」とおっしゃったので、

「未病治というのが東洋医学の大事なところなので、自覚的な症状がなくてもしますし、するべきだと思います。」と言うと

「実は私は鍼治療というものの大ファンで、今まで何十年も断続的に受けてきているんです。
しっかり脈を診て診断するところに通いたくて、看板見てしばらく悩んだんですが、『かみなり』って怖そうだし、、、勇気を振り絞ってきました。」

ありがたいことです。こういう鍼の良さ、健康に過ごすために鍼をするということをわかる人を増やしていきたいです。この方は来週いらっしゃいます。

東洋医学にも西洋医学にもよいところはあります。

しかし病人だけでなく、未病人、健康人も診て、薬も服用させずによりよい状態にするのは東洋医学にしかできないことだと思います。

ちなみに【伝統鍼灸かみなり】では、脈だけでなく、舌、お腹、背中、手、足など様々なところを診ることで身体を多面的に診ていきます。

よく診て、最善の処に、最良の鍼。だから少数鍼。
そしてエコです(笑)



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by shinkyu--kaminari | 2014-07-16 21:00 | 徒然に | Comments(0)

前回、気には方向性があるという話をしました。
気は生体では動き続けております。
この運動形式を「気機」といい、全身の上下内外のあらゆる場所を休みなく巡っています。そしてそのあらゆる場所で「昇降出入」が行なわれているわけです。

では具体例をあげます。
ざっくりと。

東洋医学的にいうと肺の臓は降ろす方に向かう働きが強い。
そのため、風邪をひいて肺の降ろす働きがうまくいかなくなると昇る作用が強くなるため、咳という症状になってあらわれます。

また、肝の臓は昇る方向に向かう働きが強い。草木のように上へ横へ外へとのびやかに気を巡らせる働きが肝の臓にはあると考えられています。
ストレスなどでイライラし、これが過剰に働き過ぎると、肝の臓が肺の臓を攻めたり、胃の腑を攻めたりするわけです。

その結果、風邪でもないのに咳が出たり、ストレスで胃が痛いという状況にもなります。胃の腑は降ろす働きをしている状態が正しいのですが、逆に働くと嘔吐という状況になりますし、肝と胃のバランスが悪い人は乗り物酔いしやすくもなるわけです。

ざっくりと説明しましたが、これらを理解するには東洋医学的な臓腑に対する考えを理解しておく必要がありますよね。
ここで説明した「肝の臓」というのは西洋医学的な「肝臓」を含んでもいるのですが、だいぶ異なるのが既にわかると思います。

次回以降それぞれの臓腑についても述べていこうと思います。
なるべくわかりやすく。他の話もはさみながら。





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by shinkyu--kaminari | 2014-07-14 20:30 | 東洋医学 | Comments(0)

人と自然と響きあう

東洋医学は自然をよく観察し、理解すること、感じることにより
発達した医学であります。
そしてもちろん人は大いなる自然の一部。
ですから、人は
自然の影響をよくも悪くも、大なり小なり、望むと望まざるに関わらず、受けるのであります。

当然といえば当然ですね。
暑ければ着るものを少なくし、寒ければ着こむ。
身体が熱傾向にある人は夏より冬の方が得意ですし、
冷え傾向の人は冬より夏を好むことが多い。
まぁエアコンによってコントロールされていると一概にそうとも言えないですが、、、

また、人は
気候だけでなく、気象の影響も受けます。
今、まさに来襲している台風などはその最たる存在ですが、
そういった気象の変化や気圧の高低による体調への影響を口にする人はとても多いです。
しかし、そのような影響はまったく受けないという人もいます。

なぜでしょうか?
これはそのとき自然界がどのようになっているかを理解するとわかりやすいです。

台風の近くでは上昇気流が起こっています。
暖かい水蒸気を海面から次々と吸い上げているわけでして、水蒸気が雲となり、空気が温められて気圧が低くなると、高低差が強くなるため風が強くなるというわけであります。

人に例えていうならば、気が上に上がる傾向の強い人、
それにより身体のアンバランスを生じている人、
このような人は影響を受けやすい。

逆にいうと、そうでなければ影響は少なくて済むわけです。

少ないという表現をしたのは、こういう人でも影響は受けているからです。
ただその影響は生理的範囲にとどまっており、病的にまでならない。

身体を流れる気にはそれぞれベクトル、方向性があります。
上に上がるのがダメというわけではなく、
上がるべきものが上がり、下がるべきものが下がる、
出るものは出て、入るものは入るといった昇降出入が上手くいっていればよいのです。そしてその「気」が停滞することなく動いて身体を巡っている。

だいぶ抽象的になってしまったので、次回、
気の昇降出入について具体的に述べていきたいと思います。




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by shinkyu--kaminari | 2014-07-10 22:58 | 東洋医学 | Comments(0)

早起きは三文の徳

最近ふと気づいたこと。

僕はこのごろ、夜遅くまで起きていられない!
23時くらいでも、何かやろうとしているのにうとうとしたりして、何かをできる状態にない。
22時にオチてしまうことも多々。

生理現象なので問題はないのですが、理由がわかりました。

今まで通勤時に電車の中で寝ていたからですな。

まあ、勤務を終え、電車に揺られつつ、空腹を抱えて本を開くものの、起きていられずに知らずに眠っていたのですが、それもせいぜい10分程度のはず。それでもしっかりと睡眠として計上され、夜、遅くまで起きていられたようです。

通勤電車に揺られることもなくなった今、この束の間の仮の休息がなくなったぶん、夜は早く休息時間がきますが、
朝は5時にはすっきり目覚めてしまう日々。

かなりの健康人ですね(笑)

だから夜には早々に眠くなる。 子供のようですが、いいサイクル。

もともと子どもの頃から朝方人間でした。
宿題は早朝やる。中3まで夜勉強したことはなかった気がします。
これからしばらくこのサイクルでいってみようかな。
何か身体がおもしろくなるかも。


しかし、世の中、睡眠の問題というのは多いです。
不眠を訴える患者さんもよく診ます。
眠りに入れない方。眠ってもすぐ起きてしまう方。

かなり鍼で治ります。

眠れないのは結構辛いですからね。
眠れないことでいろいろな症状を助長したりもするので、
眠れる状態にするというのはとても意味があります。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、
眠れるようにするためだけに鍼をするということではありません。

「ある状態」になっているから眠れないので、その「ある状態」を治すのです。

すると、他の症状も一緒になくなることはよくあります。
肩こりも頭痛もとれて眠れるようになったというのは不思議なことではありません。

「ある状態」というものを説明するには基本的な東洋医学の考え方について理解していただく必要がありますので、今後、専門的な説明も徐々に入れていきたいと思います。


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by shinkyu--kaminari | 2014-07-08 06:30 | 徒然に | Comments(0)

「死」と向き合う

昨日、今日は僕の祖父のお通夜と告別式のため、部分的に休診させていただきました。
ご迷惑をおかけしました。

実は現在36歳の僕にとって、身内の葬儀に参加することは人生初でした。
今までなかったことはよいことではあるのですが、幼い頃に「死」というものに対してしっかり向き合うということはしておくべきなんでしょうね。
まぁ、これはのぞんで向き合うものではなく、向き合わざるを得ないという限られた状況ではありますが。
自分の子どもたちを見ていてそう思いました。

祖母が最後のお別れをしているとき、一緒に涙を流していたこと。

ひとの気持ちになって物事を考えるというのは理屈ではわからないものです。
大切なひとの「死」というものは、そのひとへの感情が強く出てくるため、気持ちがとても伝わるものです。長年連れ添い、苦楽をともにし、ともに息子たちを育て上げ、ともに孫たちの成長をたのしみ、そして亡くなった祖父へ対する、祖母の胸いっぱいのあふれる思いが、まだ幼いひ孫である僕の子どもにも届いたのでしょう。

92歳の祖父の骨は骨壺にいっぱいになり、斎場の方が、このお骨は50〜60代で亡くなる方と同じぐらい量も質もしっかりしている、と話されていたことを受けて、
僕の息子が
「俺が死んだときも骨壺をいっぱいにしたいな。」
と言ったこと。

死ぬとひとはどうなるんだろうというのは、一度は誰もが考えるものかと思います。
しかし、それだけでなく、家族みんなに送り出されていくことを意識した息子の発言をきいて、
死というものに対し、「ひとつの生の終わり」という見方だけではなく、違った側面での捉え方をしていることを感じました。

「死」というものは、
当たり前ですが誰しもが必ず遭遇するものです。

それについてどう考えるか、どう胸に刻んでいくかは、
ひとそれぞれが、それぞれに遭遇した「死」を通して勝手に行っていくものなのでしょう。
遭遇する「死」がどんなものかということにもなりますが。

教育とは本来、こういう姿であるべきもののように思います。

真剣に考え、想う対象に遭遇すれば、本人たちが考えや想いを膨らませていく。

しかし、今の時代、
幼い子どもたちが「真剣に考え、想いをめぐらせる」対象と遭遇する機会は実はかぎられているのではないかとも思います。

まだ幼い子どもたちが、教えられなくとも自然と真剣になる場面というのは、対象も真の意味で、真剣でなければ子どもたちの心には響かないからです。

なにを言わなくとも真に真剣な場を、
花に囲まれた冷たい曾祖父の亡骸と、その冷たい曾祖父の手を握りしめてしばしの別れをつげる曾祖母、
そして骨壺にあふれんばかりの曾祖父の堂々とした立派なお骨と、そのお骨をそっと骨壺へうつす曾祖母や祖父達が、
僕の息子達に身を以て授けてくれたこと、僕はとても有難く思います。じいちゃん、ありがとう。

長寿社会ではありますが、
子どもが葬儀に参列することは教育上、とても大事なことなんじゃないでしょうか。

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by shinkyu--kaminari | 2014-07-04 23:28 | 徒然に | Comments(0)

人としてできるかぎりのことを実行し,その結果は天の意思にまかせる。(大辞林 第三版 解説)

今日から7月ですね。
今年に入って丁度半年が経ち、開院して半月が過ぎました。

まず順調といってよいのではないかと思います。
しっかりと根付いていけるようこれからもがんばってまいります!

しかしですね、
この七月、ブラジルW杯が行われているときに、
よもや自分が独立開業しているとは予想だにしていませんでした。

新たに開業するにあたり、資金計画をしっかりたてて、何年も前から準備している人も多くいるでしょうね。
その計画力、実行力、とても尊敬します。僕にはとてもできませんでした。

未来に自分が在りたい状態を想像し、そうなるために逆算して
今現在、自分は何をすべきか、
一ヶ月後、半年後、さらには一年後、三年後と綿密に掲げられる人も世の中には多いですが、
僕はこれが苦手なのです。

予期せぬことに遭遇することが多かったからかもしれませんが、未来に対してあまり構えたくない。

行き当たりばったりに思うかもしれませんが、それとも違う。

今、自分がやるべきことをやる。
やることにベストを尽くす。

それが僕の生きるスタイルであり、それが僕の自然であり、そうして積み重なる時の流れ、僕はただその流れにのっていく。

自分ではコントロールできないもの、未知なるものに対して憂えず、抗わず。構えず、固まらず。

流れに対して構えてはいなかったけれども、なんとか人事を尽くしていたからこそ、天命のタイミングを受け取ることができ、
今回でいうと開業ということへ自然な流れが繋がっていったのでしょう。

「人事を尽くして天命を待つ」
好きなことばです。

このスタンスでこれからもいきます。


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by shinkyu--kaminari | 2014-07-01 22:31 | 徒然に | Comments(0)