人と自然と響きあう

東洋医学は自然をよく観察し、理解すること、感じることにより
発達した医学であります。
そしてもちろん人は大いなる自然の一部。
ですから、人は
自然の影響をよくも悪くも、大なり小なり、望むと望まざるに関わらず、受けるのであります。

当然といえば当然ですね。
暑ければ着るものを少なくし、寒ければ着こむ。
身体が熱傾向にある人は夏より冬の方が得意ですし、
冷え傾向の人は冬より夏を好むことが多い。
まぁエアコンによってコントロールされていると一概にそうとも言えないですが、、、

また、人は
気候だけでなく、気象の影響も受けます。
今、まさに来襲している台風などはその最たる存在ですが、
そういった気象の変化や気圧の高低による体調への影響を口にする人はとても多いです。
しかし、そのような影響はまったく受けないという人もいます。

なぜでしょうか?
これはそのとき自然界がどのようになっているかを理解するとわかりやすいです。

台風の近くでは上昇気流が起こっています。
暖かい水蒸気を海面から次々と吸い上げているわけでして、水蒸気が雲となり、空気が温められて気圧が低くなると、高低差が強くなるため風が強くなるというわけであります。

人に例えていうならば、気が上に上がる傾向の強い人、
それにより身体のアンバランスを生じている人、
このような人は影響を受けやすい。

逆にいうと、そうでなければ影響は少なくて済むわけです。

少ないという表現をしたのは、こういう人でも影響は受けているからです。
ただその影響は生理的範囲にとどまっており、病的にまでならない。

身体を流れる気にはそれぞれベクトル、方向性があります。
上に上がるのがダメというわけではなく、
上がるべきものが上がり、下がるべきものが下がる、
出るものは出て、入るものは入るといった昇降出入が上手くいっていればよいのです。そしてその「気」が停滞することなく動いて身体を巡っている。

だいぶ抽象的になってしまったので、次回、
気の昇降出入について具体的に述べていきたいと思います。




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# by shinkyu--kaminari | 2014-07-10 22:58 | 東洋医学 | Comments(0)

早起きは三文の徳

最近ふと気づいたこと。

僕はこのごろ、夜遅くまで起きていられない!
23時くらいでも、何かやろうとしているのにうとうとしたりして、何かをできる状態にない。
22時にオチてしまうことも多々。

生理現象なので問題はないのですが、理由がわかりました。

今まで通勤時に電車の中で寝ていたからですな。

まあ、勤務を終え、電車に揺られつつ、空腹を抱えて本を開くものの、起きていられずに知らずに眠っていたのですが、それもせいぜい10分程度のはず。それでもしっかりと睡眠として計上され、夜、遅くまで起きていられたようです。

通勤電車に揺られることもなくなった今、この束の間の仮の休息がなくなったぶん、夜は早く休息時間がきますが、
朝は5時にはすっきり目覚めてしまう日々。

かなりの健康人ですね(笑)

だから夜には早々に眠くなる。 子供のようですが、いいサイクル。

もともと子どもの頃から朝方人間でした。
宿題は早朝やる。中3まで夜勉強したことはなかった気がします。
これからしばらくこのサイクルでいってみようかな。
何か身体がおもしろくなるかも。


しかし、世の中、睡眠の問題というのは多いです。
不眠を訴える患者さんもよく診ます。
眠りに入れない方。眠ってもすぐ起きてしまう方。

かなり鍼で治ります。

眠れないのは結構辛いですからね。
眠れないことでいろいろな症状を助長したりもするので、
眠れる状態にするというのはとても意味があります。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、
眠れるようにするためだけに鍼をするということではありません。

「ある状態」になっているから眠れないので、その「ある状態」を治すのです。

すると、他の症状も一緒になくなることはよくあります。
肩こりも頭痛もとれて眠れるようになったというのは不思議なことではありません。

「ある状態」というものを説明するには基本的な東洋医学の考え方について理解していただく必要がありますので、今後、専門的な説明も徐々に入れていきたいと思います。


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# by shinkyu--kaminari | 2014-07-08 06:30 | 徒然に | Comments(0)

「死」と向き合う

昨日、今日は僕の祖父のお通夜と告別式のため、部分的に休診させていただきました。
ご迷惑をおかけしました。

実は現在36歳の僕にとって、身内の葬儀に参加することは人生初でした。
今までなかったことはよいことではあるのですが、幼い頃に「死」というものに対してしっかり向き合うということはしておくべきなんでしょうね。
まぁ、これはのぞんで向き合うものではなく、向き合わざるを得ないという限られた状況ではありますが。
自分の子どもたちを見ていてそう思いました。

祖母が最後のお別れをしているとき、一緒に涙を流していたこと。

ひとの気持ちになって物事を考えるというのは理屈ではわからないものです。
大切なひとの「死」というものは、そのひとへの感情が強く出てくるため、気持ちがとても伝わるものです。長年連れ添い、苦楽をともにし、ともに息子たちを育て上げ、ともに孫たちの成長をたのしみ、そして亡くなった祖父へ対する、祖母の胸いっぱいのあふれる思いが、まだ幼いひ孫である僕の子どもにも届いたのでしょう。

92歳の祖父の骨は骨壺にいっぱいになり、斎場の方が、このお骨は50〜60代で亡くなる方と同じぐらい量も質もしっかりしている、と話されていたことを受けて、
僕の息子が
「俺が死んだときも骨壺をいっぱいにしたいな。」
と言ったこと。

死ぬとひとはどうなるんだろうというのは、一度は誰もが考えるものかと思います。
しかし、それだけでなく、家族みんなに送り出されていくことを意識した息子の発言をきいて、
死というものに対し、「ひとつの生の終わり」という見方だけではなく、違った側面での捉え方をしていることを感じました。

「死」というものは、
当たり前ですが誰しもが必ず遭遇するものです。

それについてどう考えるか、どう胸に刻んでいくかは、
ひとそれぞれが、それぞれに遭遇した「死」を通して勝手に行っていくものなのでしょう。
遭遇する「死」がどんなものかということにもなりますが。

教育とは本来、こういう姿であるべきもののように思います。

真剣に考え、想う対象に遭遇すれば、本人たちが考えや想いを膨らませていく。

しかし、今の時代、
幼い子どもたちが「真剣に考え、想いをめぐらせる」対象と遭遇する機会は実はかぎられているのではないかとも思います。

まだ幼い子どもたちが、教えられなくとも自然と真剣になる場面というのは、対象も真の意味で、真剣でなければ子どもたちの心には響かないからです。

なにを言わなくとも真に真剣な場を、
花に囲まれた冷たい曾祖父の亡骸と、その冷たい曾祖父の手を握りしめてしばしの別れをつげる曾祖母、
そして骨壺にあふれんばかりの曾祖父の堂々とした立派なお骨と、そのお骨をそっと骨壺へうつす曾祖母や祖父達が、
僕の息子達に身を以て授けてくれたこと、僕はとても有難く思います。じいちゃん、ありがとう。

長寿社会ではありますが、
子どもが葬儀に参列することは教育上、とても大事なことなんじゃないでしょうか。

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# by shinkyu--kaminari | 2014-07-04 23:28 | 徒然に | Comments(0)

人としてできるかぎりのことを実行し,その結果は天の意思にまかせる。(大辞林 第三版 解説)

今日から7月ですね。
今年に入って丁度半年が経ち、開院して半月が過ぎました。

まず順調といってよいのではないかと思います。
しっかりと根付いていけるようこれからもがんばってまいります!

しかしですね、
この七月、ブラジルW杯が行われているときに、
よもや自分が独立開業しているとは予想だにしていませんでした。

新たに開業するにあたり、資金計画をしっかりたてて、何年も前から準備している人も多くいるでしょうね。
その計画力、実行力、とても尊敬します。僕にはとてもできませんでした。

未来に自分が在りたい状態を想像し、そうなるために逆算して
今現在、自分は何をすべきか、
一ヶ月後、半年後、さらには一年後、三年後と綿密に掲げられる人も世の中には多いですが、
僕はこれが苦手なのです。

予期せぬことに遭遇することが多かったからかもしれませんが、未来に対してあまり構えたくない。

行き当たりばったりに思うかもしれませんが、それとも違う。

今、自分がやるべきことをやる。
やることにベストを尽くす。

それが僕の生きるスタイルであり、それが僕の自然であり、そうして積み重なる時の流れ、僕はただその流れにのっていく。

自分ではコントロールできないもの、未知なるものに対して憂えず、抗わず。構えず、固まらず。

流れに対して構えてはいなかったけれども、なんとか人事を尽くしていたからこそ、天命のタイミングを受け取ることができ、
今回でいうと開業ということへ自然な流れが繋がっていったのでしょう。

「人事を尽くして天命を待つ」
好きなことばです。

このスタンスでこれからもいきます。


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# by shinkyu--kaminari | 2014-07-01 22:31 | 徒然に | Comments(0)

望み診る

東洋医学における診察は
大きく四つの段階にわかれます。
「四診」とよばれ、
「望診」「聞診」「問診」「切診」の四つを指します。

今日はその「望診」について少し話します。

一般的には聞き慣れないこういった言葉を目にしたとき、あるいは耳にしたとき、
東洋医学の場合はまず漢字の意味を調べることをお勧めします。

「望」という字には、
①のぞむ。見えにくい遠方を見ようとする。また、遠くからながめる。
②のぞむ。まだかまだかと待ちわびる。得がたいものを得たがる。ほしがる。などの意味があり、
もともとの原字は、人が伸び上がって立つさまを表し、ないものを求め、見えないところを見ようとする意を含むとあります。(出典:藤堂明保・加納喜光 編 新漢和大字典)

深いですね。
「視診」とは違うわけです。ただ視ただけでは見えないものを診るのです。

身体がどのような状態かという目的意識をもって診るのですが、
凝視をするのではなく、望み診るのです。

患者さんはいきなり目の前に突然現れませんからね。
患者さんが扉を開けて入ってきたときから、東洋医学の場合、診察ははじまってるわけです。

「望診」はさらに、
「顔面気色診」「舌診」「爪甲診」「眼診」「毛髪診」などにわかれますが、
それについてもまたおいおい話していきます。

今日はこの辺で。

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# by shinkyu--kaminari | 2014-06-28 23:27 | 東洋医学 | Comments(0)