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その文化で育まれたものを感じとるには、その場に行くより他はないと思います。

僕の師匠は奈良にいますが、その志を汲んだものを東京で勉強することはできても、それで理解できることは限られます。

「気」を動かすというのはどういうことなのか、実際にその鍼を受けてみないことには理解できるものではありません。

ですから、必ず年に何度か治療をみさせてもらい、また直接鍼を受けて感じ、学ぶわけです。
ただ鍼を刺しているわけではないんです。その奥にあるものをどれだけ感じとれるか。


さて、阿波おどりの本場といえば徳島です。
実は僕は本場の阿波おどりを観に行ったことがありません。

はじめて10年目ですけどね。

やはりその場に行かないと感じとれないものはあると思います。
そこでやっていることを仲間が解釈して、それを伝えてもらい、また映像を見て自分なりのものを築いていますが、そこにはさらなる本場の理解が必要なのだと思います。

そこで育ってない、またこれからもいることのない地のものを、僕が同じように表現することはできないでしょう。

でも、理解を深めた上で、浅草としての良さを表現できたらと思っています。

もうすぐ徳島の阿波おどりが始まります。

近いうちに訪れてみます。


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伝統鍼灸かみなり
本物の鍼、本場の阿波おどり_f0356588_16131425.png


# by shinkyu--kaminari | 2015-08-10 20:30 | 徒然に | Comments(0)

袖触れ合う縁をも生かす

紹介であれ、インターネットで見つけたであれ、【伝統鍼灸かみなり】にいらっしゃる人は、何かの縁があるわけです。

電話してくる人、メールで問い合わせてからくる人といますが、思い立ったら出向く人という人も、少ないけど確実にいるわけでございます。

今日は下の子どものサッカーの練習がお昼の休み時間だったので、練習の手伝いに行き、その後昼食を済ませて、ギリギリの時間に院に戻りました。

下のエントランスで普段見ない人とすれ違い、

「こんにちは。」

と声をかけたときに

「鍼灸院はやっていないんですかね?」

と尋ねられました。

「あっ、僕です。これから開けますよ。」

ということで診ることに。

ちょっとタイミングが遅かったら、声をかけられなければ、この縁はお互いに逃していたことになります。

たった一声かけるかかけないかで、拾う縁、逃す縁もあるわけです。

その方は近所で焼酎居酒屋を営んでいます。

僕が昔からお世話になっている飲み屋さんの近く。

今度お邪魔します(^ ^)


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袖触れ合う縁をも生かす_f0356588_16131425.png

# by shinkyu--kaminari | 2015-08-08 19:00 | 初診 | Comments(0)

夏の全国高校野球の記憶

第97回全国高校野球選手権大会がはじまりました。

今年は100周年です。

ひたむきな姿勢ゆえに見ているものの心をとらえますね。

僕の記憶の中に一番大きくあるのは、松坂大輔選手の活躍。

でもこれはありきたりなので、別のものを。

野球は子どもの頃からというか、子どもの頃が一番好きでしたね。
小学生の頃。

だから、自由研究で一度高校野球のスクラップをした年がありました。
第70回大会。優勝は県立広島商業高校で、準優勝は福岡第一高校。
山之内というスラッガーが福岡第一にいたのを覚えています。
確かその後プロに進んだと思います。

最近子どもに小学生のときの思い出を聞かれることがあるのですが、意外に覚えてないんですよね。臨海学校とか移動教室とか林間学校も写真みたいな記憶も曖昧で、動画としてはまるで蘇ってきません。

でも、この高校野球のスクラップはしっかり覚えてました。
スクラップをすることで記憶が二重化されるんですよね。
出場していた高校とかもかなりの確率で覚えていました。

誰もが記憶に残る大会もあるでしょうが、ある人にとって鮮明に記憶に残るものもあります。

今年はどうなるでしょうか。


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# by shinkyu--kaminari | 2015-08-07 20:30 | 徒然に | Comments(0)

『論語』の教え

「民可使由之。不可使知之。」
(民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず。)

『論語』の「泰伯」というところにこの文句は出てきます。

いろいろ解釈の仕方はあるのですが、僕は安岡正篤先生の解釈が腑に落ちます。

【意訳】
「民衆が尊敬し、信頼するようにせよ。民衆に本当のことを理解させることはできない。」


従わせるだけでよいという解釈もあるのですが、それとはまるで違います。

民衆というものは、常に自分に都合のいいその場のことを考え、求めてているので、本当のことや、先見のことはわからない。
だから、あの人のすることだから信頼してついていく、というようにした方がいいということです。

治療においてもそれは感じます。

すべてこちらの考えていることを伝えて理解させることは不可能だと思います。
その中で、症状が不安定になると、不安にも思うでしょう。
そしてネットの情報などに振り回されてしまうことにもなります。

でもこの人がやっているから、言っているから、という信頼関係が築ければ、その不安感は限りなく少なくすることができます。
一度でスパッとよくなるものもあれば、時間を要するものもあります。

ではどうやって信頼関係を築くか。

それは方法論ではないですよね。

だから孔子さんも述べていません。

求めるものではなく、ついてくるものですね。

ああだこうだと述べるより大事なことをしろということです。

やりましょう!


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伝統鍼灸かみなり
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# by shinkyu--kaminari | 2015-08-06 20:30 | 徒然に | Comments(0)

篠笛で肉体改造

「力を抜いてください。」

と患者さんにいうとよく言われます。

「抜いてるつもりなんですけど。」

余計な力を抜くというのは、入れることより難しいです。
なにせ好きで力を入れている人はいなく、無意識でなされていることですからね。

なんと僕も最近気づけました(^^;;

人に抜け抜け言っておいて自分も不十分でした。

以前から意識が希薄だと思っていた胸の上部、鎖骨まわり。

先日の篠笛の稽古で、笛を吹いているときに固めていることを指摘されたのですが、じゃあ力を抜こうと思っても、肩を上げているわけではないので、抜くという手段がその場ではわかりません。

なんとなく患者さんの気持ちがわかった感じです。

となるとこれに対する対処も患者さんができ得る対処の方がいいわけですね。

こんなときの対処はやはり呼吸です。

自分の身体と呼吸によって対話します。
これは座って行ったら無理がありました。
頭の重みがかかるのが辛く、気持ち悪くなる予感。

寝転がって呼吸によって身体が広がらない方向を感じとり、そこに時間をかけて息が入ってくるようにします。
途中心地よくて眠ってしまいましたが、今までにない鎖骨まわりの感覚を得ることができました。

さっぱり意味がわからないかもしれませんので、興味のある方は聞いてください(^ ^)

何が言いたかったかというと、まだまだ自分の身体は進化するということと、呼吸によって身体は緩められるということ、そのためには自分と向き合う時間は必要だということです。


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# by shinkyu--kaminari | 2015-08-05 20:30 | 備忘録 | Comments(0)