2014年 06月 28日
望み診る
大きく四つの段階にわかれます。
「四診」とよばれ、
「望診」「聞診」「問診」「切診」の四つを指します。
今日はその「望診」について少し話します。
一般的には聞き慣れないこういった言葉を目にしたとき、あるいは耳にしたとき、
東洋医学の場合はまず漢字の意味を調べることをお勧めします。
「望」という字には、
①のぞむ。見えにくい遠方を見ようとする。また、遠くからながめる。
②のぞむ。まだかまだかと待ちわびる。得がたいものを得たがる。ほしがる。などの意味があり、
もともとの原字は、人が伸び上がって立つさまを表し、ないものを求め、見えないところを見ようとする意を含むとあります。(出典:藤堂明保・加納喜光 編 新漢和大字典)
深いですね。
「視診」とは違うわけです。ただ視ただけでは見えないものを診るのです。
身体がどのような状態かという目的意識をもって診るのですが、
凝視をするのではなく、望み診るのです。
患者さんはいきなり目の前に突然現れませんからね。
患者さんが扉を開けて入ってきたときから、東洋医学の場合、診察ははじまってるわけです。
「望診」はさらに、
「顔面気色診」「舌診」「爪甲診」「眼診」「毛髪診」などにわかれますが、
それについてもまたおいおい話していきます。
今日はこの辺で。
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2014年 06月 26日
病は気から
「病気」の語源である「百病生於氣」(百病は氣より生ずる)というこの語は、
我々東洋医学を行っているものにはバイブルとも言える、「黄帝内経素問」という二千年以上前に書かれた本に記載されています。
語源を見ればわかると思いますが、たんに「気持ちから病気は起こるんだよ」という感じではありませんね。
もちろん、そういったことも含んでいるのですが、「気」に問題が起こると病になるということを言っているのです。
となると次に疑問が出てきますね。
「気」ってなに?
簡単にいうと、「身体の内外を流れる、目に見えないエネルギーみたいなもの」
その「気」が不足したり、滞ったり、
本来進むべきベクトル方向に行かなかったり(下に向かって行かなければならないものが上に行ってしまったり)すると病が起こるということなのです。
その原因となるものに、「気持ち」、つまり感情の過不足があったり、
睡眠や飲食の問題があったり、
気候の影響があったりするわけです。
いやーな気持ちになると、胸のあたりがもやもやとしてきませんか?
問題が解決するとスカッとしたり。
何となく伝わりますかね?
そして
その「気」の問題を解決するために鍼をするわけです。
道標や杖となるように。
紀元前にはすでに編纂され、二千年もの流れの中、今なお、英知の泉たる深淵なる東洋医学について、
今後、さらに細かいことについても、生活にそくしたわかりやすい言葉で話していこうと思いますので、わからないことがあったら、お気軽に聞いて下さい。
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2014年 06月 24日
おぎせつ
今日は僕が先月まで働いていた治療院についての話。
日韓W杯のとき入社して今回のブラジルW杯までの12年間。
本当に長く勤めさせていただき、育てていただいたのですが、
接骨院と治療室の総患が1日500人を超えるマンモス治療院です。
先生も常時40名近くおり、
OBも北は北海道から、南は沖縄にはいませんが鹿児島まで、日本全国に点在しています。
来年には40周年を迎えるこの治療院を開業から牽引しているのが院長の青山先生です。
青山先生は柔道整復師なので鍼はしませんが、僕の鍼の師匠と共通しているのは、
何よりもエネルギーがあること。
技術は確かに大事ですが、それ以上に必要なものがこれだと思います。
細かいことは気にしないところもさすがです。
入社してすぐ札幌にW杯を観に行くために仕事を休みたいと言ったこともオッケーいただけましたし、
5月いっぱいで辞めるけど、6月アタマの社員旅行は参加してもいいのかどうか聞いたときもオッケーいただきました。
非常に尊敬していますし、非常に好きな先生です。
先生もおそらく僕のこと好きですね(笑)
またいつか、ご一緒にお酒でも飲むときに、いい報告をしたいです。
僕もエネルギー・フルスロットルでやっていきます!
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2014年 06月 23日
百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果に如かず
とは、故事成語にありますがまさにそのとおり。
今日は鍼を刺すことについて
「鍼って痛くないですか?」
よく質問されることです。
鍼を身体に刺すんだから、痛そうに思うのは当然かもしれません。
でも、、、痛くはないのです。
なぜか。
痛くないように刺すからです(笑)
そんな乱暴なものではないのです。
もっともっと繊細なものです。
痛い部位に鍼をして中をグリグリいじる。
そういった深部に対して刺激をできるのが鍼のよさだと思っている方、そういう鍼灸師いると思います。
そこで響かせる。
でも、そうしなくても効くのです。
痛い極所に鍼しなくても。深く刺さなくても。響かせなくても。
患部として痛いところは結果であって、原因ではありません。
喉が痛いからって喉に刺しませんよ。
治療すると、気持ちいいと言う方は多いです。
どんな感じかというのは、口で言葉で説明するのはとても難しい。
というより無理ですね。
ひとりひとり受ける感覚は違います。
例えば僕自身が、僕の鍼の師匠の鍼を受けたとき、お腹が三倍くらいに膨らんだ経験があります(笑)
まあ、実際には膨らんだ感覚ですね。
ちなみに鍼したところは頭です。
身体がよい状態に変化していくというのは、気持ちいいものです。
鍼はその道標ですから、痛いものではありません。
安心して受けてみて下さい。
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2014年 06月 21日
医は仁なり、鍼も仁なり。
この浅草の地は僕の地元なのですが、実を言ってしまえばそれが理由(笑)
でも、地元、生まれ育った地を選ぶということについては、
地元だから嫌だという人もいるし、
周りからの目を気にする必要があるという人もいます。
だけど、僕は、あえて地元で開院したかったわけです。
自分の生まれたこの地に伝統鍼灸東洋医学を根付かせたいという一途な思いがある。
体調を崩したとき、病気になったときの選択肢に鍼灸がないのが悔しい。
医は仁術なり。
仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地のうみそだて給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり。(貝原益軒『養生訓』)
東洋医学は医学ですからね。
老若男女あらゆる人に鍼。
そしてあらゆる場合においても。
腰痛にも、腹痛にも、めまいにも、風邪にだって。
子どもに鍼ってほとんどの方は考えたことないんじゃないでしょうか?
子どもの医療費無料化というのは、ある側面よいのですが、
判断もつけさせず何でもかんでも病院に行くという状況を生み出している事実も否めないです。
具合がよくないから鍼してもらってから学校に行く。
浅草という地の子どもが自然にそう思えるところにしたい。
そういう風土をつくりたい。着実に変えていきたいと思っています。
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