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啓発

【論語】〈述而篇八〉に以下のように書かれてあります。

原文
子曰、不憤不啓、不悱不発。
挙一隅、不以三隅反、則不復也。

子曰く、憤せずんば啓かず、悱せざれば発さず。
一隅を挙げて、三隅を以て反せずんば、則ち復びせず。

先生がおっしゃいました。心に求めるものがあっても、まだそれがはっきりしないときは、それをこうだと示してやらない。求めるものがわかっても表現できないときは、それをこうだと引き起こしてやらない。
一部を示してやって、それで全体をつかもうとしないときは、それを二度と教えることをしない。

これが「啓発」ということばの出典のようです。
大辞林には
「人々の気づかないような物事について教えわからせること。」

これ本来の意味から外れてますよね?

まぁもとの意味から転じることはよくあるので、間違いだとはいいませんが、「教える」ということが、どうも違うような気がします。

余計なことはしない。待つ。見守る。

そんなことの重要性を感じます。

教えない、教えすぎないことの意味。
自ら動くことの意味。
近道させることが回り道になっていることもあります。


最近【論語】をまた勉強しています。


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by shinkyu--kaminari | 2016-01-27 20:30 | 読書 | Comments(0)

『論語』の教え

「民可使由之。不可使知之。」
(民は之を由らしむべし。之を知らしむべからず。)

『論語』の「泰伯」というところにこの文句は出てきます。

いろいろ解釈の仕方はあるのですが、僕は安岡正篤先生の解釈が腑に落ちます。

【意訳】
「民衆が尊敬し、信頼するようにせよ。民衆に本当のことを理解させることはできない。」


従わせるだけでよいという解釈もあるのですが、それとはまるで違います。

民衆というものは、常に自分に都合のいいその場のことを考え、求めてているので、本当のことや、先見のことはわからない。
だから、あの人のすることだから信頼してついていく、というようにした方がいいということです。

治療においてもそれは感じます。

すべてこちらの考えていることを伝えて理解させることは不可能だと思います。
その中で、症状が不安定になると、不安にも思うでしょう。
そしてネットの情報などに振り回されてしまうことにもなります。

でもこの人がやっているから、言っているから、という信頼関係が築ければ、その不安感は限りなく少なくすることができます。
一度でスパッとよくなるものもあれば、時間を要するものもあります。

ではどうやって信頼関係を築くか。

それは方法論ではないですよね。

だから孔子さんも述べていません。

求めるものではなく、ついてくるものですね。

ああだこうだと述べるより大事なことをしろということです。

やりましょう!


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伝統鍼灸かみなり
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by shinkyu--kaminari | 2015-08-06 20:30 | 徒然に | Comments(0)